私は44歳、三人の子供のお母さんです。
私は、今学生ではありません。
でもこれから、英語を勉強してカナダの大学で学びたいのです。
私には、知的障害と発達障がいがある息子がいます。
皆さんは「障がい」という言葉をどんな風に感じますか?
私は、息子を持つまでは
障がいのある人はサポートをするべき対象であって、
決して差別をしてはいけないと思っていました。
ところが、いざ「障がい」という言葉が他人事ではなく、
身近な問題になると、
それまで見えていた自分の周りや、
社会といったものが
全く違うものに見えるようになりました。
障がいのない長男や次男を通わせていた時には、
何にも感じなかったのに、
保育園や小学校に、なんとも言えない
居心地の悪さがあるのです。
もちろん、周りの人たちは、
かつて私がそうであったように、
親切であり、差別をするわけではありません。
ただ、当事者になると感じる、
違和感があるのです。
例えば、
知的障害があることを保育園の先生に伝えても、
やらせるお絵かきの内容や、
ひらがな練習の中身は変わりません。
他の子が1日でできることを、
息子には時間をかけて同じものを仕上げさせたり、
時には先生が手助けをすることで、
同じレベルのものにしてしまいます。
時にはそういったことが必要な時もあるのかもしれません。
でも、何よりも息子にとっては負担が大きいし、
将来のためになるわけでもありません。
そして、そういったことをさせる理由の大半は、
教室に飾って、保護者に見せるためだったりするのです。
長男や次男の時には
気にもならなかったことが、
障がいを持つ息子を持ったことで、
一つ一つが違う意味を持つようになりました。
「息子の未来や成長に本当に必要なものはなんだろう?」
本を読んだり、ネットを調べるうちに
出てきた言葉が
「インクルーシブ教育」でした。
インクルーシブ教育というのは、
障がいがあっても、通常の学級で学ぶことができるということです。
文部省でも、この言葉をスローガンに掲げていて、
特殊支援学級などの指導方法を進めているようなのです。
私は、もっと障がいがある子供に対しての教育を
身近に知りたいと思い、
小学校の特別支援学級の支援員として
働き出しました。
教育現場に入れば、
何か息子の教育に役立つようなことが
耳に入ったり、知ることができるかもしれないと思っていました。
でも、実際教育の現場に入って感じるのは、
「本当にインクルーシブ教育を目指しているの?」
といった感想です。
指導している先生たちは、誰も彼も一生懸命です。
なのに、子供達の未来を考えて教育しているようには
感じられないのです。
みんなと同じような絵が描ければ、何がいいのでしょうか?
みんなと同じように座っていられると、どんな風に役立つのでしょうか?
そもそも、スタートがみんなと違っている子供たちを、
できるだけ平均に近づけようとしたって、
どうにも無理があります。
インクルーシブ教育はアメリカやカナダ、
イタリアでうまくいっている事例が多いと聞きました。
もっと知りたい、勉強したい。
だから、英語が必要なのです。
インクルーシブ教育を勉強しに行きたいと
思っています。
そして、自分の子供を含めた、
日本の子供たちにも伝えていきたいと思うのです。