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「当たり前」を柔軟に(前原レイミ)

蛇口をひねれば水が出る。破れていない服を着る。リュックを背中に背負っても物をとられる心配はない。

日本にいれば、これらは当たり前のことです。あまりにも当たり前すぎて、時々忘れてしまいそうなくらいです。でも、これらが当たり前ではない人々が世界中にはたくさんいる。私たちは、そのことをわかっているようで、実はどこかで他人事だと思ってしまっているのではないでしょうか。

私がこのことに気づいたのは、QQEnglishでの留学中に行った、山村地区でのボランティア活動のときです。私は学校のプログラムを利用してフィリピンへ行ったので、このボランティア活動もプログラムの一環に含まれていました。実際に現地へ行く前は、どのような場所でどんな人々が生活しているのか想像もできませんでしたが、現地では、私たちが車を降りたとたんに駆け寄ってきてくれる子どもたちや、私の手を握る子どもたちの小さな手がとても愛おしく、微笑ましかったことが記憶に残っています。
しかし、一緒に遊んでいた子どもの中に、背中がビリビリに破れたTシャツを着ている子を見つけたとき、何か心に突き刺さるものがありました。また、現地家庭に訪問させていただいたとき、母親が「子どもたちに小学校を卒業させてあげるのが私の願い」と言っているのを聞いた時も、ハッとさせられるものがありました。日本で当たり前のように破れていない服を着て、食事をし、大学にまで行かせてもらっている自分はとても恵まれていると思いましたし、これらのことは決して「当たり前」ではないのだと気づかされました。

同時に、そんな厳しい環境の中でも懸命に生きる現地の人々の強さを感じました。特に、子どもたちのキラキラした笑顔がとてもまぶしく、こちらまで笑顔にさせられるほどでした。もともとスラム街で生活していた人々と聞いていたので、少しばかりの恐怖さえ感じていた自分を、とても恥ずかしく思いました。
しかし、よく考えてみると、私たちの当たり前はいつ壊れてもおかしくないはずです。2011年の東日本大震災をはじめとする自然災害は、その典型です。昨日までの当たり前がある日突然当たり前でなくなる。そうかと思えば、宝くじで大当たりし、思いもよらない大金を突然手に入れる人もいます。もっと根本的に考えてみると、私たちが日本に生まれていなければ、日本で生活していなければ、今の生活はすべて当たり前でなくてもおかしくはないのです。

私たちは、そのことを忘れてはならないのではないかと思います。日本では当たり前のことでも、海外へ行けばそれは当たり前ではない。反対に、海外では当たり前のことでも、日本では当たり前ではない。このようなことはたくさんあるはずです。

世界には、多種多様な「当たり前」が存在します。しかし、みんながみんな、自分の「当たり前」が正しいと思い込んでいれば、必ず衝突が起こります。それがひどくなれば戦争や紛争につながることもあると思います。これを少しでも防ぐためには、自分の中の「当たり前」を柔軟に変化させていくことが必要であると考えます。自分の当たり前と相手の当たり前は違うかもしれませんが、それはおかしなことではありません。1人1人考え方が違うのですから、「当たり前」が違っていても不思議なことではないはずです。反対に、共通の「当たり前」もあるかもしれません。それを見つけたとき、私たちは相手に対して親近感を覚え、共感することもあるでしょう。

「当たり前」はいつ壊れるか分からない、はかなくもろいものだと思います。しかし、その「当たり前」に固執するのではなく、お互いの違いを理解し合い、自分の当たり前の枠組みを少し柔軟にしてあげるだけで、衝突を避けることができるかもしれません。その枠組みの柔軟さを身につけるために、私は世界を知ることが有効であると考えます。世界中の人と出会い、文化や生活にふれることで、日本との大きな違いにショックを受けることもあると思います。それでも、その経験を通して、私の「当たり前」の枠組みが自由自在に変形させることができるようになるのは確かであるはずです。

自分の「当たり前」を柔軟にする。これが「私が世界を目指すわけ」です。

 

 
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