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2023.12.21

フィリピンの大統領制とは?著名な歴代大統領について解説


共和国として、民主主義に乗っ取った大統領制を持つフィリピン。

基本的な大統領制度はアメリカを基本としていますが、植民地国家であった過去であるが故に、大統領だけの特別な措置が取られているのが特徴です。

フィリピンの大統領選挙は世界的に報道されるほど、注目を集めるイベントですが、フィリピンの大統領制度について詳しい方は少ないのではないでしょうか?

そこで本記事では、

・フィリピンの大統領制度
・現職のフィリピンの大統領
・著名な歴代大統領

について解説していきます。

QQEnglish編集部
執筆者

QQEnglish編集部

フィリピン・セブ島留学をはじめ、世界各国への留学、ワーホリ情報など英語学習をしている方へ役立つ情報を発信しています。

斉藤淳
監修者

斉藤淳

フィリピン留学協会会長

2014年からフィリピン・セブ島留学に関わる。セブ島の学校を中心に50校以上訪問しつつ、留学生に学校の選び方や現地の情報を発信しています。

フィリピンの大統領制とは

フィリピンの大統領制度

フィリピンの大統領制度はアメリカ合衆国の制度を踏襲しています。

過去の植民地支配による影響により、現在の大統領制度が形作られました。大統領選挙は6年ごとに行われ、その年の5月に選挙が行われることが多いです。

フィリピン大統領は日本の総理大臣と比べて、強大な権力が与えられています。

大統領はフィリピン国軍の総司令官としての立ち位置を持ち、有事の際には戦闘や戦争に関する決定を下します。

憲法にて、大統領は国家元首として「行政権」を行使することが認められており、内閣を含む全ての行政部門を支配することが可能です。

加えて、大統領は6つの特別命令を発令することが可能であり、非常に強大な行政権を与えられていることが分かります。どこにも属しない大統領のための機関が存在している程です。

「司法権」に関してですが、こちらもかなり特別な権限が与えられています。

有罪判決後に、恩赦・減刑・赦免を与えることができる他、罰金・没収金を免除することもできてしまいます。しかし、恩赦に関しては、連邦議会政府の過半数の同意が必要です。

「立法権」ですが、こちらが最も強力な権限であると言って良いでしょう。憲法第6条により、大統領は二院制の議会で決定された法案を「拒否」することが可能だからです。

法案はすべて大統領の目に通され、大統領は署名・拒否・何もしないかのいずれかを選ぶことが出来ます。

議会は大統領の拒否を覆すことが可能ですが、議会の3分の2以上が必要であり、ほとんど場合で大統領に抗うことは出来ません。

以上のように、フィリピン大統領は国家元首として相当な権力を与えられていることが分かります。

大統領選挙は6年に一度

フィリピンの大統領は原則として、「4年以上の任期を行なった大統領」は2回目の選挙に出馬することは認められていません。

加えて、大統領の任期は最大6年までと定められており、これが6年ごとに大統領選挙を行う理由となっています。

腐敗に満ちていた過去があり、一時期は4年ごとの選挙が定められていましたが、紆余曲折あり、6年毎の選挙となりました。

過去通して、17回の大統領選挙が行われており、その年にはフィリピンの歴史に載るようなイベントが開催されます。

大統領選挙が行われる月は5月が多く、その月には、フィリピン全体でお祭り騒ぎになるのが非常に面白いです。

加えて、大統領選挙は「大統領」以外にも、「副大統領」、「州知事」を決める極めて重要なイベントであり、地域によっては暴動が起きるほどのイベントになります。

大統領になるために必要な権限ですが、

・純粋なフィリピン市民
・投票する権利を持つ者
・読み書きができる者
・40歳以上の者
・フィリピンに最低10年以上居住している者

という上記の条件を満たしていることが必須となります。

 

なお、大統領選挙当日に市民が投票を行う手順は

1、地域の投票オフィスに行く(学校が多い)
2、番号を貰い、当該の部屋に進む
3、票を貰い、ペンとフォルダを必ず準備する
4、投票用の部屋にて記入を行う
5、投票マシンにその票を挿入する
6、領収証を貰う
7、右手の人差し指に紫色のインクを塗る

というのが一般的な投票方法となります。

もしも、フィリピンで右手の人差し指が「紫色」に塗られた人がいたら、その方は投票をしたと考えて良いでしょう。

フィリピンではパンデミックの際、電子の選挙方法を取り入れました。しかし、その選挙の不透明性や、一部政治家がその票を買っていることが問題となり、現在の直接訪問して記入する投票が一般的となりました。

2022年に行われた大統領選挙では、フィリピン大統領に「マルコス」、副大統領に「サラ・ドゥテルテ」が当選しました。

次に行われる大統領選挙は2028年とされています。

現職のフィリピン大統領

フェルディナント・マルコス・ジュニア (Ferdinand, Marcos Jr.)

フィリピン元大統領である「フェルディナント・マルコス」を実父に持つ、第17第目のフィリピン大統領です。

2022年のフィリピン大統領選挙において、競争相手の「レニー・ロブレド」に開始から2倍以上の投票差をつけて大勝しました。

天皇徳仁とも面会を行い、親日派であることも知られています。農業経済相を兼任するマルコスJr.氏は、フィリピンの経済成長を促す政策を行使。

消費者物価指数が上昇し続けるなど、フィリピンの家計を直撃するような物価の高騰を招いてしまい、批判が相次いでいます。

しかし、2023年から2028年にかけてのフィリピン開発計画に精を出しており、フィリピンの産業開発と発展に力を入れている大統領であることが分かります。

インフラの整備として約「1兆2500億円」の出資が見込まれていますが、過去にマレーシアで起きた巨額の資金流出が懸念されるなど、資金流出に対するマルコスJr.氏の手腕が期待されています。

政治家として華々しい面を持つ一方で、多くの黒い噂が流れている大統領でもあります。

実父は汚職・反政治運動禁止を行ったとして悪名高い「マルコス氏」であり、有耶無耶にされた彼の莫大な資金に関する、記者の言及が全く絶えません。

加えて、学歴詐称を行ったことが発覚しました。

オックスフォード大学卒業としていましたが、実際は卒業しておらず、学士の免許も実際は存在しなかったことが明らかとなっています。(引用:東洋経済新聞

加えて、第16第目の元フィリピン大統領である「ロドリゴ・ドゥテルテ氏」に痛烈な言葉を浴びせられたことも話題になりました。

ドゥテルテ氏はマルコスJr.氏に対して、

「私は彼を信用できない。綺麗な英語を話し、華々しいが、中身は甘やかされて育った男にすぎない。リーダーシップが足りない人間にフィリピンの危機を救えないだろう。」

という言葉を残していますが、ドゥテルテ氏の言葉の真意は不明です。

黒い噂が多い彼がなぜ、大統領選挙で圧勝できたかと言うと、副大統領に就任した「サラ・ドゥテルテ」の力が大きいとされています。

ミンダナオ列島にて絶大な人気を誇る「ドゥテルテ氏」の娘であり、彼女の支援があったからこそ、大統領にて快勝できたという意見が多いです。

過激派であった父とは違い、穏健派である「マルコスJr.氏」は州ごとに一定の支持を得ていますが、これからの活躍に期待です。

歴代のフィリピン大統領

第1代 エミリオ・アギナルド(1899-1901)

第2代 マニュエル・ケソン(1935-1940 アメリカ統治時代)

第2代目フィリピン大統領です。

アメリカ統治下にあったフィリピンの大統領として選出されました。

しかし、第二次世界大戦にて旧日本軍の侵攻により、フィリピンが陥落した後、アメリカに亡命したとされています。

写真を見ると分かりますが、フィリピン人ではなく、欧米の血が流れていることが分かります。これは、当時のフィリピンが傀儡国家であったことが示唆できます。

第3代 ホセ・ラウエル(1943-1945 日本占領下時代)

旧日本軍の占領下において選出された、第3代目フィリピン大統領。

当時のフィリピンは、戦争によって国内情勢が極めて不安定であり、特に飢餓が最大の懸念でした。ラウエル政権は、国内生産量を増やすなどして、飢餓の解消のためにあらゆる手を尽くしました。

しかし、旧日本軍による情勢の不安定化によって、フィリピン国内の治安は更に悪化することとなります。

その後、過激派ゲリラの活動、恣意的な逮捕などが行われ、フィリピン国内は更に混沌と化していきます。

第4代 セルジオ・オスメナ(1944-1946 第二次世界大戦後)

世界大戦終結後に選出された、第4代目フィリピン大統領。

ダグラス・マッカーサーとの交友があり、紆余曲折を経て旧日本軍から解放されたフィリピンを統治しました。

大戦後のフィリピンを取り巻く様々な問題に取り組んだ方であり、最高裁判所と下級裁判所の復活に関する逸話が有名。

フィリピン国立銀行の復興にも尽力し、戦後のフィリピン経済の復興を支えた人物の1人です。

第5代 マニュエル・ロハス (1946-1948)

第6代 エルピーダ・キリノ (1948-1953)

第7代 ラモン・マグサイサイ (1953-1957)

第8代 カルロス・ガルシア (1957-1961)

第9代 デオサダド・マカパガル (1961-1965)

第10代 フェルディナント・マルコス (1965-1986)

第11代 コラソン・アキノ (1986-1992)

第12代 フィデル・ラモス (1992-1998)

第13代 ジョセフ・エストラダ (1998-2001)

第14代 グロリア・マカパガル (2001-2010)

第15代 ベニグノ・アキノ (2010-2016)

第16代 ロドリゴ・ドゥテルテ (2016-2022)

第17代 フェルディナント・マルコスJr. (2022- ) 

著名なフィリピン大統領

ロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo, Duterte)

「麻薬撲滅戦争」と「暴言」に関して名高い、第16代目元フィリピン大統領。

麻薬が蔓延っていたミンダナオ列島を経験した人物であり、その生い立ちも壮絶です。

10代の頃には喧嘩に明け暮れ、差別的な大学の同級生に対して発砲するなど、かなり特殊な経歴を持つ元大統領です。

上記のような異色な経歴を持ちますが、政治家としての手腕は高く評価されており、ダバオの市長に何度も当選しています。

ドゥテルテ執行下のダバオは、記録的な治安回復に向かった上に、ぼったくりなどの軽犯罪の他、強姦・殺人などの凶悪犯罪も大きく減少しました。

過去のダバオは「フィリピンの掃きだめ・死の街(麻薬中毒者)」というレッテルが張られていました。しかし、ドゥテルテ氏の手腕により、世界ランキング上位にのるほど治安が回復していったのです。

麻薬撲滅、治安回復のために活動したドゥテルテ氏ですが、「超法規的な殺人」を何度も行ったと非難されています。

麻薬王や密売人、マフィアに対しては人権を無視した発言と行動が多く、「処刑する」という言葉はあまりにも有名。

日本との交流も深く、私財を投じて「日比友好の碑」を建立しました

フェルディナント・マルコス(Ferdinand, Marcos)

独裁者として有名なフィリピン6代目・10代目元フィリピン大統領。

マルコス政権下において、事実上の独裁政治を行った人物であり、その生涯と隠蔽された莫大な資産に関して、今だ多くの謎が残っています。

20年間の間、絶対的な権力を握ったマルコス氏ですが、政敵の拷問処刑・失踪などが相次いで報告され、かなり不穏な人物であった事が分かります。

戒厳令による、「反政府活動の徹底弾圧・軍の超法規的な利用」によって、革命軍やその反乱分子を徹底的に潰しながら、自身は富を蓄えるという、フィリピン市民にとって屈辱的な横行を行っていました。

1986年のエドゥサ革命によって打倒されてからは、ハワイに亡命した後、死去したとされています。

エミリオ・アギナルド(Emilio, Aguinaldo)

スペイン統治下にて劣悪な環境に置かれていた先住民のフィリピン市民を、「ホセ・リサール」と共に協力し解放した英雄の1人です。

当時のフィリピン革命軍は、スペイン軍に劣勢を敷かれていましたが、アメリカ軍のスペインに対する報復攻撃に乗じて、当時のスペインからフィリピンを取り戻すことに成功しました。

しかし、アメリカ軍の裏工作により、フィリピン共和国設立を妨害され、更なる紛争の火種が広がっていきます。

フィリピンの大統領制度のまとめ

フィリピンの大統領は憲法によって、強大な力を譲渡されるため、就任する人材によってフィリピンの国政事情が大きく異なってくることが特徴。

6年間の就任制限が存在していますが、独裁者による政治を防ぐためです。

毎6年に開催される大統領選挙は、国の将来を決める、極めて重要なイベントです。そのため、フィリピン各地で選挙に対して市民が白熱する様子を見ることができます。

次の大統領選挙は2028年とされていますが、過去のトレンドに乗っ取ると、次期大統領候補は「サラ・ドゥテルテ」氏が有力であると言われています。

2028年の5月頃に、フィリピンに訪れる機会がある方は、選挙ムードに白熱したフィリピンを経験できるかもしれません。

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